平成2年2月28日、3,000点を超す原爆詩人 峠三吉の関係資料が遺族である三戸頼雄氏及び今井千栄子氏から当館へ寄贈されました。
これらの資料は昭和62年8月10日に広島市南区翠町の三戸家にて発見されたもので、書簡や自筆資料のほか愛蔵書やネクタイ、表札といった身辺資料も含まれています。
そのうち、親族と交わされた手紙や、戦後の多岐にわたる活動が反映されたように、全国の知人友人から差し出された書簡は1,200点を超えています。草稿類は、『原爆詩集』に収められた作品をはじめ、評論や講演台本、『原子雲の下より』の作品募集の「おねがい」やシュプレヒコールなど幅広い内容であり、それぞれに残された推敲の跡から成立過程が伺えます。
戦前の日記やノート、被爆後入院した糸崎で穏やかな瀬戸内海を描いたパステル画、退院後の精力的な文化、社会活動の中で残された膨大なメモ類も、峠三吉の人間像を肉付ける重要な手がかりとなるでしょう。
このほか「広島青年文化連盟」や「われらの詩の会」、「瀬戸内海文庫」など峠が結成、活動に携わった団体の関係資料、広島を中心に全国から届けられた地方同人誌、また様々な運動の中で配布されたチラシやビラに至るまで、昭和20年代の文化、社会背景を伝える豊富な資料が含まれていることも峠三吉資料の大きな特徴です。
戦後間もなく全国的に雑誌の創刊ブームが起こり、広島でも同人誌、サークル詩を含め多くの雑誌が創刊されましたが、数号のみ発行して短期間で活動を終了したものや、会員内のみで配布されていたケースも多く、現在その詳細を把握することは困難な状況です。各地から寄せられた約150タイトル300冊余りの同人誌、サークル誌を残した点からも広島の復興期に文化活動の中心で奮闘していた峠の姿が浮かび上がり、今後様々な視点からの研究における、峠三吉資料が果たす役割の大きさを感じさせます。
なお、物資難の時代のため、峠三吉資料にはざら紙など質の悪い素材も多く、50余年の時間経過とともに劣化も見受けられることから、当館では閲覧等のご利用にあたっては、資料の保存状況に応じてマイクロフィルムでも提供してます。
最後に、資料の発見から整理作業、また目録の編集までご尽力、ご助力をいただき、当館への寄贈に際してもご理解・ご協力をたまわった広島文学資料保全の会の皆様に深く感謝の意を表します。