石田浩子(広島市立中央図書館 広島文学資料室担当 学芸員(司書))
昭和26年3月13日、原民喜は自らその命を絶つ前に親族や友人へ宛てて10数通の遺書を残しました。親族(義弟 民喜の妻 貞恵の弟)として、文芸評論家として、民喜の理解者であった佐々木基一氏(本名 永井善次郎)宛ての遺書には「今迄発表した作品は一まとめにして折カバンの中に入れておきました。もしも万一、僕の選集でも出ることがあれば、山本健吉と二人で編纂して下さい」と書き、民喜は自身の原稿やノート、書簡などを託しました。民喜の言葉に応えた佐々木氏と山本氏によって、民喜自身が書いた目次どおりに作品集が編集され、昭和28年『原民喜作品集 上・下』(角川書店)として刊行された後、これらの原稿類は昭和51年に日本近代文学館へ寄贈されました。『原民喜資料目録(日本近代文学館所蔵資料目録 10)』(日本近代文学館 昭和58年)としてまとめられた資料は、「不思議」「死のなかの風景」などの原稿や小説「夏の花」を発表する際に検閲を考慮し、削除した部分を書きとめたノート、民喜あての書簡など262点があります。
一方、折りカバンの他にも、民喜の遺品が佐々木氏のもとに残されていました。それらは民喜の死後、ほとんど人の目に触れることはなかったようで、佐々木氏は大久保房男氏、遠藤周作氏とによる「鼎談原民喜」(『定本原民喜全集 別巻』青土社 昭和54年)の中で「それ(創作ノート)あるんだよ、少し。こないだ発見したんだよ、おれんとこで」「ぼくんとこの押入れのいちばん奥にあった。ほかの、つまり木の箱なんかあってね。人から来た手紙なんか、みんな取ってあるわけですよ。」と語っています。
遺品の一部は、民喜没後30周年を記念して、昭和56年7月に広島市の平和記念資料館で開催された「原民喜展」(「原民喜展」実行委員会主催)で展示(一部はコピーにより展示)されたこともありましたが、平成5年に佐々木氏が亡くなられた後、保管を引き継がれた夫人 永井いく氏のご厚意により、平成6年7月、当館へ寄贈されました。その内容は、自筆原稿や草稿類、民喜が受け取った書簡や名刺のほか、佐々木氏の言葉にある「木の箱」などの身辺資料、民喜が編集に携わっていた雑誌「三田文学」に関わる品々など1,445点にのぼり、佐々木基一氏ゆかりの資料90点が加えられ、計1,535点が寄贈されました。 当館では寄贈を受け、資料目録の作成や資料のマイクロフィルム化を行い、民喜や原爆文学をテーマとした企画展などでの資料展示を通じて、市民や研究者の方々に資料をご利用いただだいてまいりましたが、この「原民喜の世界」が、当館所蔵資料にさらに広く触れていただく機会となることを願っております。
文末ですが、原民喜資料の寄贈からその整理にわたり、多大なご尽力をいただいた広島文学資料保全の会の皆様に感謝申し上げます。
◆当館所蔵「原民喜資料」より資料をいくつかご紹介します。
1.書簡類 民喜資料1,445点のうち900点近くを書簡類が占めています。そのうち、4点をご紹介します。 |
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2.身辺資料 木箱など民喜の日常生活を伝える身辺資料をご紹介します。 |
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3.自筆原稿・草稿・ノート類 「苦しく美しき夏」の草稿が書かれたノートやメモ類などが計約70点余りあります。 |