当館所蔵畑耕一資料の概要

 当館では、約450点の畑耕一資料を所蔵しています。畑自身の著書のほか、作品が掲載された図書や雑誌、原稿や色紙などの自筆資料、書簡、畑の愛用品など、幅広く収集しています。
 ここでは、所蔵資料の中から特徴的なものをご紹介しています。

著書類

 畑耕一初の著書は、雑誌「明星」へ連載した劇評をまとめた『戯場壁談義』(大正13年)です。その後、東大英文科の同窓である芥川龍之介が序文を寄せた短篇集『笑ひきれぬ話』(大正14年)、映画化もされた『棘の楽園』(昭和4年)や『女の切札』(昭和8年)といった長編小説などを発表しています。さらに、随筆集や少年少女小説、俳句など幅広い分野で著作を発表し、当館では初版を中心に収集しています。

  • 『戯場壁談義』(奎運社 大正13年)
  • 『笑ひきれぬ話』(大阪屋号書店 大正14年)
  • 『棘の楽園』(博文館 昭和4年)
  • 『剣魔白藤幻之介』(博文館 昭和8年)
  • 『小塚っ原綺聞』(交蘭社 昭和15年)
  • 『畑耕一句集 蜘蛛うごく』(交蘭社 昭和16年)
  • 『広島大本営』(天佑書房 昭和18年)
  • 『ロビンソン・クルーソー』(広島図書 昭和25年)


草稿・原稿類

 加筆や書き直しがそのまま残された自筆の原稿は、作品が完成へと向かう創作の過程をもの語るだけでなく、時を越えて、作家の息づかいを私たちに届けてくれるものです。
 当館が所蔵する畑耕一の自筆資料の中には、翻訳草稿の一群があり、その内容は、ノーマン・カズンズの『Modern Man is Obsolete』を訳した「現代人はなっていない」のほか、海外の怪奇小説または幻想小説と呼ばれる短篇作品です。
 また、畑耕一が晩年に担当していたラジオ番組の原稿も所蔵しています。ここには、『愚人の祭壇』(大学書房 昭和2年)や『触角と吸盤』(交蘭社 昭和10年)などの随筆作品を思わせる、ユーモアにあふれた畑の博識ぶりが披露されています。

 自筆原稿の一部は、画像ギャラリーで詳しくご紹介しています。

  • 「現代人はなっていない」(ノーマン・カズンズ/著)
  • 「人形屋敷の怪」(M・R・ジェイムズ/著)
  • 「河のおもて」(モーパッサン/著)
  • ラジオ原稿「風呂について」
  • ラジオ原稿「飯について」


自筆の書画

 畑は、生涯俳句を好み、『露座』(昭和6年)や『蜘蛛うごく』(昭和16年)などの句集を発表しました。また、可部町に移り住んでからも、よく絵筆をとっていた姿が地域の人びとに記憶されています。   
 自作の句を滑らかにしたためた短冊のほか、絵の添えられた色紙や掛け軸なども所蔵しています。

  • 短冊「秋の蚊の 葉つたうさまや 窯の湯気 耕一」
    短冊「住みなして わが世 わが家や 今朝の春 畑耕一」
    色紙「良農惜地力 耕一」


書簡類

 約25年間にわたって、畑から俳句の弟子である四宮美智子に宛てた書簡を所蔵しています。日付や消印をみると、昭和8(1933)年9月から畑が亡くなる昭和32(1957)年までのもので、文面には作句への批評のほか、その時々の畑の近況や心情が記されています。   
 特に戦後、可部町から送られたはがきでは、「…とにかく郷土広島の復興を見るまでは動かないつもりです。文化方面の復興にはいろいろ仕事をしています…」(昭和22年9月12日付)と書き、被爆によって傷ついた広島で活動することへの自負とも言える思いを伝えています。しかしながら、再び上京する思いも断ち切れず、「…このままでゆけばいつまでも広島にいなければなりますまい。それも戦争のためです。とにかく東京へ帰る気は棄てません。…」(昭和28年8月16日付)と率直に打ち明けたはがきも残っています。

  • 四宮美智子宛て 畑耕一葉書(昭和22年9月12日付)
  • 四宮美智子宛て 畑耕一葉書(昭和28年8月16日付)


その他

畑耕一愛用品
 筆や硯、水滴などを収めた硯箱、煙草入れ、文箱などの愛用品も所蔵しています。
このうち、鎌倉彫の文箱は、蓋の内側に「贈 恩師 畑耕一先生」と記され、監督、俳優、スタッフら映画関係者の名前が並んでいます。松竹キネマ蒲田撮影所の第一期研究生だった俳優 笠智衆(1904-1993年)の名前もあり、松竹キネマで研究所長、企画部長を歴任した畑の経歴を伝える資料といえます。

  • 畑耕一愛用品 煙草入れ、硯箱(内部)、文箱(蓋内側)
  •  


曾我廼家五郎(そがのやごろう)作 絵葉書コレクション
 曾我廼家五郎(1877-1948年)は、明治37(1904)年に曾我廼家兄弟劇をおこし、日本で最初の「喜劇」を上演しました。風刺と人情味にあふれる演目によって商業演劇の人気者となった五郎の趣味は、道楽絵葉書ともよばれる色彩豊かな絵葉書でした。
 図柄や文章に'しゃれ'や'見立て'をふんだんに取り入れ、趣向を凝らした年賀状や公演案内を作ってはひいき筋へ送り、趣味を同じくするコレクターと交換して楽しんだようです。
 当館には、昭和8(1933)~18(1943)年に畑に送られた51枚を所蔵しています。五郎は、芝居の中に時代を鋭く反映させましたが、絵葉書にも次第に戦時色が濃くなっていく世相が表れています。
 美しい絵葉書を丁寧に保管していた畑も、五郎の笑いを楽しんだのでしょう。

  • 曾我廼家五郎作 絵葉書コレクション(一部)
  •