原家は当時、陸海軍御用達の繊維業 原商店を営む。
当主 原信吉の五男として、ここ幟町162番地で生まれた。 昭和20年の1月から、生家に身を寄せ、ここで被爆。 広島世界平和記念聖堂の敷地の一部も、原家から譲り受けたもの。
戦前の原商店 |
現在はマンション、商店などが並ぶ |
広島世界平和記念聖堂 |
京橋川沿いに面しており、川べりには柳の木が。
柳は被爆の後、現在も健在。 短編「火の踵」にも登場。
京橋河畔の被爆柳
原爆ドームと民喜の碑
碑銘 原民喜 遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻 |
遺書に添えられていた詩。
最終行から、民喜の命日は花幻忌と呼ばれる。
当初、広島城内にあったものが、現地に移設された。
碑の文面
民喜の逝った年、1951年の11月には、梶山季之らの奔走により、ここ広島城址、大手門前に記念碑が建立された。
設計は谷口吉郎(東京工大教授)。碑文の陶板は加藤唐九郎作。
裏面の銅板には、佐藤春夫の追悼文が。
碑は子供の投石等で傷み、1967年には現在の原爆ドーム東に移設される。
最初に設置された城址 石垣付近 |
当時の姿 |