タイトル
08.民喜ゆかりの場所をたずねて

1.「原民喜生家」跡
(現 広島市中区幟町)
     
原家は当時、陸海軍御用達の繊維業 原商店を営む。   
当主 原信吉の五男として、ここ幟町162番地で生まれた。 昭和20年の1月から、生家に身を寄せ、ここで被爆。 広島世界平和記念聖堂の敷地の一部も、原家から譲り受けたもの。
戦前の原商店
戦前の原商店
現在はマンション、商店などが並ぶ
現在はマンション、商店などが並ぶ
広島世界平和記念聖堂
広島世界平和記念聖堂

2.生家附近の「被爆柳」
(現 広島市中区橋本町)
 
京橋河畔の被爆柳
被爆当時、民喜の次兄が居住。  
京橋川沿いに面しており、川べりには柳の木が。  
柳は被爆の後、現在も健在。 短編「火の踵」にも登場。



京橋河畔の被爆柳

3.「原民喜詩碑」   (現 広島市中区大手町)  原爆ドーム前

原爆ドームと民喜の碑
原爆ドームと民喜の碑
碑には次の詩が刻まれている。

    碑銘 
                原民喜   
  遠き日の石に刻み    
     砂に影おち   
  崩れ墜つ 天地のまなか  
  一輪の花の幻

 遺書に添えられていた詩。
 最終行から、民喜の命日は花幻忌と呼ばれる。     
 当初、広島城内にあったものが、現地に移設された。

碑の文面 碑の文面
4.原民喜「詩碑」最初の場所
(現 広島市中区基町)
    
民喜の逝った年、1951年の11月には、梶山季之らの奔走により、ここ広島城址、大手門前に記念碑が建立された。  
設計は谷口吉郎(東京工大教授)。碑文の陶板は加藤唐九郎作。
裏面の銅板には、佐藤春夫の追悼文が。  
碑は子供の投石等で傷み、1967年には現在の原爆ドーム東に移設される。

最初に設置された城址 石垣付近
最初に設置された城址 石垣付近
当時の姿
当時の姿

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