当館三重吉資料
当館所蔵三重吉関係資料 -「三重吉文庫」を中心に-
広島市立中央図書館が所蔵する特別コレクションの一つに広島文学資料があります。
鈴木三重吉をはじめ、広島にゆかりの深い21名の作家を対象に、初版本・雑誌・肉筆原稿などの収集・保存・公開を目的としています。現在3万3,000点を越えるこのコレクションのはじまりに中心的役割を果たしたのが、鈴木三重吉に関する資料を集めた「三重吉文庫」でした。
鈴木三重吉の業績を顕彰するため昭和27年(1952年)に発足した鈴木三重吉顕彰会から、広島市立中央図書館の前身である広島市立浅野図書館へ、雑誌「赤い鳥」など約160点が寄託されたことをきっかけに三重吉文庫は開設されました。その後も、鈴木三重吉「赤い鳥」の会(鈴木三重吉顕彰会が発展的に改称)や鈴木珊吉氏(三重吉長男)から継続的に寄託・寄贈を受け、当館が所蔵する資料も加えながら、昭和48年(1973年)には三重吉文庫の資料点数は370点余りに達しました。
さらに昭和62年(1987年)、鈴木珊吉氏より「赤い鳥」の原本全196冊をはじめとする三重吉の愛蔵書や、珊吉氏が収集した三重吉関係の図書など400点を越える資料が寄贈されました。また、同年10月の広島文学資料室開室にあたっては、鈴木三重吉「赤い鳥」の会から三重吉文庫に寄託されていた資料220点も当館へ寄贈される運びとなりました。広島文学資料室では、開室当初全2,181点の資料のうち、三重吉文庫を含む三重吉関係資料が1,577点を占めていたことからもわかるように、質量ともに充実し続けてきた三重吉文庫が核となりました。
現在も広島文学資料室は多くの方々の支援を受けながら収集を続けており、三重吉文庫を含めた鈴木三重吉関連資料は現在4,000点を超えました。三重吉の故郷広島にあって、三重吉や「赤い鳥」の研究に欠かせない全国的にも有数のコレクションとなっています。
当館で所蔵する鈴木三重吉関係資料の紹介
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原稿「ぶつぶつ屋」
鈴木三重吉/著 原稿用紙 ペン書 46枚 23×16cm
「赤い鳥」大正11年7月号に掲載された鈴木三重吉による童話の自筆原稿。赤い鳥社の原稿用紙の裏を使用し、マス目にとらわれず、斜線や塗りつぶしによる訂正や字句挿入の跡が余白一杯に残されている。一度清書されることなく、そのまま赤ペンで校正されており、毎月の締め切りに向けて慌ただしい編集作業をうかがわせる。
書「私は永久に年少時の夢を持つ。今はたゞ、ために悩むこと少なきのみ。三重吉」
文章「湯豆腐と冷奴」
昭和6年 和紙 墨書 1枚 18×175cm
三重吉宅での湯豆腐の作り方が詳細に記されている。後半にあたる「冷奴」部分を欠く。「赤い鳥」鈴木三重吉追悼号(昭和11年10月)には吉本正太郎による「三重吉と湯豆腐」が収められており、同じく「湯豆腐と冷奴」の題で、三重吉が書き送った文章が引用されている。
【読み下し文】
湯豆腐と冷奴 三重吉記
宅の湯豆腐と冷奴をだれも賞讃する。料理として何も秘伝がある訳もない。湯豆腐は第一にダシの取方に注意をする。普通は鍋の中に昆布を終始敷つぱなしにして、豆腐に味をつけようとするが、これは誤つてゐる。昆布でも鰹節でもいつまでもグラグラ煮ては汁の味を悪くする。水からグラグラ煮え上つたときに、昆布をさつと取り出してこそ本当のダシとなる。宅ではそのやうにしてダシ汁を作り置きそれを鍋へ補充する。次に豆腐は絹越しは不可。柔いのみにて味よからず。普通の豆腐の方可也。たゞの豆腐でも少しの間煮ると柔らかくなる。永く煮れば固くなり巣が立つ。故に鍋の中へは一どに食べられるだけの数片を入れ、中まで温つたころ、すぐ引き上げて食ふこと。人数に従ひ数をかぞへて入れる。皿へ取つたらあとに煮えた豆腐が残らないやうにするのが肝甚。つまりさつと煮て柔らかくなり、固くならざる内に食べる訳。なほダシの汁を作るとき中へ茶匙半分位の葛粉を入れてまぜ合しておくと、鍋に入れた際、葛は豆腐を柔らかにする働きをもつ。次にシタヂ。これは醤油をコーヒー茶碗なぞに入れて湯豆腐の鍋に入れつぱなしておく人多けれど、醤油は永く煮れば不味となる。やはり少しづゝ補充するを可とす。
書「三重吉永眠の地」、「三重吉と濱の墓」
雑誌「赤い鳥」
鈴木三重吉宛 夏目金之助(漱石)書簡
明治39年4月14日付 巻紙 墨書 1枚 封筒21×9cm 巻紙19×144cm
「千鳥」を読んだ高浜虚子の感想を三重吉に伝える手紙。虚子の厳しい批評とともに、漱石自身の意見を列記し、「…僕が名作を得たと前触が大き過ぎた為め却つて欠点を挙げるようになつたので、いい点は認めて居るのである。」と伝える。虚子が「千鳥」の原稿を持って帰ったと知らせているように、「千鳥」はこの後「ホトトギス」5月号に掲載された。
【読み下し文】
拝啓二三日前君に手紙を出すと同時に虚子に手紙を出して名作が出来たと知らせてやつたら大将今日来て千鳥を朗読した。そこで虚子大人の意見なるものを御参考の為めに一寸申し上げる
〇全篇を通じて会話が振つて居らん。藤さんのホヽヽヽが多過ぎる藤さんが田舎言葉で瀬川さんが田舎言葉で掛合をしたらもつと活動するかも知れん(漱石曰く虚子の云ふ所一理あり。然し主人公が田舎言葉でやつつけたら下女や何かの田舎言葉が引き立つまい。但し全篇を通じて若い男女の会話はあまり上出来にあらずと思ふ)
〇虚子曰く章坊の写真や電話は嶄新ならずもつと活動が欲しい(漱石曰く章坊の写真も電話も写生的に面白く出来て居る)
〇女と男が池の処へしやがんで対話する所未だ室に入らず。且つ其景色が陳腐なり(漱石曰く会話はあの位で上の部なるべし。池の景色鮒の動静悉く写生なり陳腐ならず)
〇虚子曰く若い男女が相会して互に思ふはありふれた趣向なり但二日間の出来事と云ふに重きを置いて、それを読者にわからせる様につとめた所がよし。(漱石曰く趣向は陳腐にもあらず又陳腐でなき事もなし要するに技倆如何にて極る。此篇の大欠点はどうしても作り物であるといふ疑を起す点にあり。然し所々に写生的の分子多きために不自然を一寸忘れさせるが手際なり)
虚子曰く狐の話面白し全篇あの調子で行けばえらいものなり(漱石曰く全篇大概はあの調子なり)
要するに虚子は写生文としては写生足らず、小説としては結構足らずと主張す。漱石は普通の小説家に是程写生趣味を解したるものなしと主張す。
以上は虚子の評なり。君は固より僕に示す丈の積りだらうが僕以外の人の説も参考に聞く方が将来の作の上に利益があると思ふから一寸報知する。虚子と云ふ男は文章に熱心だからこんな事を云ふので僕が名作を得たと前触が大き過ぎた為め却つて欠点を挙げる様になつたので、いゝ点は認めて居るのである。
それでは原稿は一度君の許諾を得た上でと思つたが虚子が持つて帰ると云つたからやりましたよ。尤も長いから少々削るかも知れない。是も不平を云はずに我慢してくれ玉へ 以上
四月十四日夜 金
三重吉様
小宮豊隆筆 鈴木三重吉記念碑「夢に乗る」碑面文字下書
「三重吉追悼の寄書」2冊
当館所蔵の鈴木三重吉資料
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『広島文学資料目録』(広島市立中央図書館 平成16年3月刊)のうち、鈴木三重吉資料部分をご覧いただけます。
『広島文学資料目録』(鈴木三重吉)【296KB】