エッセイ
「鈴木三重吉と『赤い鳥』の世界」の制作に寄せて
鳥越 信 (児童文学研究者)
昨年2008年の7月2日、私は広島におじゃまして雑誌「赤い鳥」についてお話しする機会があった。そして今年3月、熊本へおじゃまする機会があるのだが、そこでは「赤い鳥」と海達公子をテーマにお話しすることになっている。海達公子というのはご承知の方も多いと思うが、小学校2年生のときに北原白秋に天才少女詩人として見出され、「金の星」、「童話」、「幼年の友」、「良友」、「コドモノクニ」等々にも作品を発表して一世を風靡し、1933年に17歳に満たない短い人生を終えた悲劇の少女でもある。しかし彼女の詩を愛する多くの人々によって、とりわけ地元熊本では、今なお多くの読者を持つ幸せな少女詩人だったとも言える。
こうした「赤い鳥」が育てた幾多の文脈は日本全国に残されているが、なかでも広島は主催者、鈴木三重吉の生誕地であるだけに、今も「赤い鳥」の生命は脈々と維持・保存されていることはよく知られているところだ。それだけに、広島においては三重吉と交友のあった人々の資料なども残っており、またそれらについての研究もさかんに行われていて、「赤い鳥」といえば広島と言ってもいいほどの密接な関係が醸成されている。
子どもの文学・文化が不滅であるかぎり「赤い鳥」が消えることはなく、したがって広島が忘れられることもないはずである。どうかこれからも広島がますます「赤い鳥」誕生の地として、日本の子どもの文学・文化の発展に寄与してくださることを願ってやまない。
(2009年3月)
講演会「私と『赤い鳥』」
(2008.7.2 広島市立中央図書館主催)
での鳥越氏