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「千鳥」
「ホトトギス」明治39年5月号掲載。
明治38年(1905年)、三重吉は 静養のために能美島に滞在する。本作は、その間に着想を得て書いた短編小説であり、
三重吉の文壇デビュー作である。瀬戸内の島で出会った美しい女性への思いを牧歌的な情景とともに、抒情的で余韻を残す文章で表現した。三重吉から「千鳥」の原稿を送られた漱石は、「僕名作を得たり」と称え、本作は、後に発表された漱石の「草枕」にも影響を与えたとされる。
「山彦」
「ホトトギス」明治40年1月号掲載。
第二作となる短編小説。主人公は姉の嫁ぎ先に滞在中、屋根裏から手紙を発見する。古い手紙に残された恋物語を軸に、山間の旧家の暮らしを描く。親友である加計正文に招かれて夏を過ごした吉水亭が物語のモデルとなっており、当時の加計(現 安芸太田町)の季節感豊かな風土も伝えている。
「桑の実」(春陽堂 大正3年刊)
「国民新聞」大正2年7月25日~11月15日連載。
三重吉理想の女性像とも思われる主人公‘おくみ’の半生を綴った長編小説。明治末から大正期の東京を舞台に、時間の流れを静かな文章で描写することにより、平凡とも言える日常から透明感や哀しさを感じさせる。
『湖水の女』(春陽堂 大正5年12月刊 写真は復刻版)
イギリス、イタリア、ロシアの伝説から再話した第一童話集。
小説の筆を絶った後、新たな創作の場として三重吉は童話の世界を選んだが、これらの幻想的な物語の語り手として、抒情詩人的作家とも呼ばれた三重吉の文学的資質が活かされている。
『古事記物語』上・下巻(赤い鳥社 大正9年2月、12月刊)
「赤い鳥」大正8年7月号~9年9月号連載。
「古事記」を子ども向けに再話したもの。海外児童文学の再話と同様、単に分かりやすい言葉に置き換えるだけでなく、「古事記」の持つ力強さや素朴さを尊重した美しい文章で綴られており、現在も「古事記」入門の書として読まれている。
『綴方読本』(中央公論社 昭和10年12月刊)
「赤い鳥」誌上で続けられた綴方指導の集大成となる。前半は、全国から投稿された児童の綴り方と三重吉による選評を、後半には、三重吉による綴方理論をまとめた。当時の教育界からも大きな反響を呼び、現代に続く作文指導の礎となった。