当館が所蔵する1万点近い若杉慧関連資料には、著書や自筆原稿のほか、作家の創作過程を記録したノートやメモ類、石仏写真を収めたアルバムにいたるまで、若杉の活動を伝える多様な資料が含まれており、ここではその中から特徴的な資料をご紹介します。
若杉慧のほぼ全ての著書を所蔵しています。
【若杉慧作品群】
15年在籍した『文芸首都』の同人を脱退する経緯が詳細に綴られ、改稿後、「絶交状」として「日暦」67号に掲載されたもの。
“どうして重ったるい泥臭いものしか…”と、文芸首都の作風への自省と苦悩を、てらいなく告白した内容となっています。
(資料No.7514「破門記」)
若杉は長い間、様々な思いや出来事を大学ノートに書き留めており、「光陰」と題されたこのノートは、第1冊(昭和27年)から第81冊(昭和59年)まで続いています。
写真の「光陰51」の表紙には「日記のかたちをした小説、この先生なかなかくわせるわい」と意味深長な走り書きがあり、また「光陰58」には、神戸時代の教え子陳舜臣への祝辞の草稿が書かれています。
(資料No.7268「光陰1」、No.7272「光陰3」、No.7022「光陰51」、No.7015「光陰81」)
手前左から
『野の佛』(東京創元社 昭和33年)の最初のページに掲載されました。“住まいの東京練馬に珍しく雪が降り、近所の地蔵が雪をかぶって、濡れた石肌かえって鮮(あらた)しく、家に引き返してカメラを持ち出した”というもので、「野の仏」写真第1号とも。
(資料No.12698 『野の佛』掲載写真の148枚より)
掲載写真のそれぞれにトリミングなどが細 かく指示されています。
(資料No.12698 『野の佛』掲載写真の148枚より)
『日本の石塔』(木耳社 昭和45年)に掲載された、いずれも親鸞の教行信証よりとった言葉。
(資料No.14080〜14081毛筆書 扉筆書『日本の 石塔』より)
国画会の会員推挙決定通知(昭和33年4月25日)、角川書店出版部から『エデンの海』重版通知(昭和52年2月4日付)、角川書店から『青春前記』重版通知(昭和52年2月24日付)
このほか、「文芸首都」の後輩である佐藤愛子から、若杉の励ましを感謝する封書をはじめ、作家たちとの交流をうかがわせる多くの書簡が残されています。
(資料No.7033-1書簡 国画会から若杉慧 昭和33年4月25日付)
(資料No.11727葉書 角川書店出版部から若杉慧 昭和52年2月4日付 重版通知『エデンの海』第5版6千部)
(資料No.11728葉書 角川書店から若杉慧 昭和52年2月24日付 重版通知『青春前期』第15版6千部)