広島を知る

過去のサテライト展示

「黒田三郎 第一詩集『ひとりの女に』」

令和6年2月17日~7月26日

呉市に生まれ、戦後の代表的詩人の一人である黒田三郎は、実生活に根ざした心情を平易な言葉で作品に綴りました。昭和29年(1954年)6月、恋愛時代の妻に捧げた作品群を第一詩集『ひとりの女に』として出版、翌年に‘現代詩の芥川賞’とされるH氏賞を受賞しました。
多くの詩が国語の教科書に採用されるなど、黒田作品は共感とともに長く親しまれています。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:148KB]

「ヒロシマの文学碑」

令和5年7月8日~令和6年2月14日

広島に建てられた碑(いしぶみ)の中には、詩歌や小説の一節など被爆の記憶を伝える文学作品を刻んだものも少なくありません。碑面に刻まれた作家たちの言葉には、死者を悼み、広島の復興や平和を願う人々の思いが託されました。
本展では、広島文学資料室の作家と、その作品にゆかりある文学碑や慰霊碑をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:236KB]

「栗原貞子 -広島から伝える-」

令和5年3月9日~7月6日開催

詩人 栗原貞子(1913-2005年)は、生涯の大部分を広島で暮らしました。戦後の活動をたどると、作品の創作に加えて紙誌の刊行や様々な出版物の編集委員、解説者等に名を連ねていたことが分かります。文学によって被爆の実相や原爆の暴力性を世界へ、また、未来へと伝える活動を通じて、栗原は一層広い視野から平和への思索を深めていきました。
言葉の力を信じ、広島の文芸活動を支えた栗原貞子をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:558KB]

「鈴木三重吉 自著を彩る」

令和4年11月8日~令和5年2月26日開催

鈴木三重吉(1882~1936年)は、文章と同様に自著の装丁に対しても並々ならぬこだわりを持っていました。その中でも、師である夏目漱石の『道草』などを手がけた画家 津田青楓による装丁を好み、小説家としての集大成に、と自ら刊行した『三重吉全作集』全13編を青楓に託します。しかし、『全作集』にかける意気込みの強さ故に両者は衝突、青楓は途中で装丁の任から降りてしまいました。
三重吉の美意識を伝え、作品を彩る装丁をお楽しみください。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:209KB]

「細田民樹―故郷につながる作品」

令和4年7月30日~11月6日開催

東京生まれの細田民樹は、幼時から父の実家である山県郡壬生町(現 北広島町)で育ち、中学時代を広島市内で過ごしました。民樹が大学卒業後の3年間を過ごした騎兵第五連隊(現 東区)での軍隊生活や、疎開中の実家から目撃した原子雲、被爆後に訪れた広島市内の惨状は、後に小説や随筆として描かれました。
故郷 広島につながる作品、活動とともに、今年、生誕130年を迎えた細田民樹をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:578KB]

「新藤兼人 -名作文学を撮る-」

令和4年4月29日~7月28日開催

広島市佐伯区出身の映画監督 新藤兼人(1912~2012年)は、映画人として生涯現役を貫き、49本の映画と約250本の脚本を世に送り出しました。それらの中には、古今東西の名作文学を原作、モチーフとする作品も多く含まれています。
技術や資金といった様々な制約がある中でも、独自の視点や新たな解釈によって、新藤兼人が映画化、脚色に挑んだ作品の一部を関連資料とともにご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:494KB]

「若杉慧 -『野の佛』と広島の風景-」

令和3年11月16日~令和4年4月17日開催

広島市出身の作家 若杉慧は、その後半生に、路傍の石仏や石塔へ深い関心を寄せました。カメラを手に野の仏をたずねて全国を巡り、写真に解説や随想を添えて、代表作『野の佛』をはじめとする多くの著書を刊行しました。
また、写真を趣味とした若杉のアルバムには、昭和29年頃の、新しい建造物と並んで被爆の傷跡が残る広島市中心部の写真も残されています。
若杉慧のファインダーがとらえた野の仏たちや、復興へと向かう広島の風景をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:327KB]

「被爆建物とヒロシマの文学」

令和3年7月22日~11月14日開催

原爆の惨禍を体験、目撃した作家たちは、被爆直後から、あるいは長い時間を経て、忘れることのできない記憶を書き残しました。手記や日記、小説や随筆などには、現在、被爆建物として保存、継承されている建物の様子も描かれています。
ここでは、5件の被爆建物をめぐって、広島文学資料室の作家たちが綴った被爆前後の記憶をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:369KB]

「短歌結社誌「歌と観照」と「未来」」

令和3年3月30日~7月21日開催

歌人の岡山巌(1894-1969年)と近藤芳美(1913-2006年)は、それぞれ短歌結社「歌と観照社」、「未来短歌会」を主宰し、作品や歌論を発表する場として結社誌「歌と観照」、「未来」を創刊しました。両結社は各々の短歌観を継承、発展させながら、世代交代を重ねた現在も活動を続けています。
今年、創刊90年、70年の節目を迎えた「歌と観照」と「未来」の歩みを通して、二人の歌人をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:366KB]

「生誕100年 阿川弘之展」

令和3年2月9日~3月7日開催

昨年、広島市白島九軒町(現 中区)出身の作家 阿川弘之(1920~2015年)が生誕100年を迎えました。自身の戦争の体験を終生忘れることなく創作の原点に据え、師である志賀直哉譲りとも評される端正な筆致で作品を書き続けた、阿川弘之の70年近い文業の一端をたどります。

*新型コロナウイルス感染症拡大防止にかかる臨時休館のため、会期途中で終了した企画展「生誕100年 阿川弘之展」の一部を展示します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:725KB]

「生誕90年 梶山季之」

令和2年8月1日~12月13日開催

広島で青春期を過ごした作家 梶山季之(1930-1975年)は、上京後、昭和33年から雑誌のライターとなります。記者グループを率い、週刊誌の巻頭をスクープで飾る活躍ぶりから「トップ屋」とも呼ばれました。締切の迫る中、綿密な取材や調査を元に、読者の心をつかむ文章を磨いた経験は、後に、ベストセラー作家として膨大な執筆量をこなす手腕へとつながりました。世相や人物像を鋭く描いた作品群は、今も読者を惹きつけています。
広島での同人誌活動のほか、代表作「黒の試走車」「李朝残影」など、生誕90年を迎えた作家 梶山季之の仕事の一端をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:600KB]

「生誕130年・田中純」

令和2年2月22日~7月30日開催

広島市出身の小説家 田中純(1890-1966年)は、早稲田大学英文科を卒業し、出版社に入って文芸誌の編集に携わります。当時、鈴木三重吉が顧問を務めていた「新小説」の編集長等を経て、本格的な文筆生活に入りました。評論やツルゲーネフなどの翻訳を手がけた後、小説や戯曲の発表を始めます。大正8年(1919年)には、久米正雄、里見弴、吉井勇と雑誌「人間」を創刊しました。戦後は、学生時代、編集者時代から続く多彩な交遊をもとに、作家たちの横顔を書き残しています。
生誕130年を迎えた田中純の作品をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:292KB]

「小山内薫 -自由劇場創立110年-」

令和元年10月20日~令和2年2月21日開催

明治42年(1909年)11月27、28日、東京の有楽座においてイプセンの「ジョン・ガブリエル・ボルクマン」(森鷗外訳)が上演されました。劇作家、劇評家、小説家として活躍する小山内薫が、歌舞伎役者 二代目市川左団次とともに創立した自由劇場による第1回試演です。
小山内を中心とした自由劇場の活動は、坪内逍遥や島村抱月の文芸協会とともに、わが国の新劇運動の出発点として演劇革新の大きな原動力となりました。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:215KB]

「映画とヒロシマ・広島の文学」

令和元年7月17日~10月19日開催

脚本家、映画監督の新藤兼人は、「広島に生まれた映像作家の責務」と考え、原爆を主題とする作品を作り続けました。また、映画人たちは、原爆や戦争といったテーマと向き合う中で、独自の表現によってヒロシマを描こうと、児童文学や脚本を含め、被爆体験を伝える様々な文学作品の映像化に挑んできました。
ここでは、ヒロシマを描く映画の原作や、広島文学資料室の作家の映画化された作品をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:478KB]

「生誕90周年 竹西寛子 ~随想を読む~」

平成31年4月2日~令和元年7月15日開催

広島市南区出身の作家 竹西 寛子(たけにし ひろこ 1929-)は、小説とともに随想を書き続けてきました。雑誌や新聞での連載をまとめたものを含め、これまでに30冊を超える随想集を刊行しています。移りゆく日々の中で、言葉や古典文学、社会の動きを静かに見つめ、端正な筆致によって書き留められた竹西寛子の随想をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:143KB]

「生誕90周年 桂芳久」

平成31年1月5日~3月31日開催

桂 芳久(かつら よしひさ 1929~2005年)は、現在の安芸高田市に生まれ、戦中戦後の中学、高校時代を広島市で過ごしました。この間の昭和23年には、県内の高校生によるペンクラブを発足させて初代会長を務め、機関誌を創刊しました。慶應大学に進むと、在学中から「三田文学」の編集に加わり、三島由紀夫に認められて作家としてデビューします。その後は、国文学者として大学で教壇に立ち、創作から離れますが、評論や随筆など寡作ながらも執筆を続けました。
平成31年(2019年)に、生誕90年を迎えた桂芳久の仕事をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:158KB]

「明治生まれの作家たち -広島ゆかりの12人-」

平成30年12月1日~12月28日開催

平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から満150年の年にあたります。明治時代に入り、日本は海外の技術や文化を取り入れながら近代化を進め、広島においても、街の風景や人びとの暮らしが大きく変化しました。本展では広島文学資料室の作家の中から、明治時代の広島に生まれ、その後活躍した12人の作家を取り上げ、代表作や故郷広島にまつわる作品などをご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:466KB]

「ヒロシマを伝える-装画と挿画」

平成30年7月25日~11月29日開催

一冊の本には、カバーや表紙、帯や外箱、本文の配置など、様々な意匠が施されています。これら装幀からも、読者は、作者の思いや作品の世界観を感じることができます。
ここでは、ヒロシマを伝える文学作品において、本の顔ともいえる装画や、本文に添えられた挿画、口絵を描いた画家たちをご紹介します。
また、広島市現代美術館の特別展「丸木位里・俊 ―《原爆の図》をよむ」に寄せて、《原爆の図》が、装画や挿画に用いられた本も展示します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:133KB]

「鈴木三重吉 童話の道へ -「赤い鳥」誕生まで-」

平成30年3月11日~7月24日開催

小説『桑の実』で好評を得たものの、創作に苦しむ鈴木三重吉は、大正3年に『現代名作集』、翌年に『三重吉全作集』の出版を始め、やがて小説の筆を折ってしまいます。娘 すずの誕生後、初めての童話集『湖水の女』を発表、続いて『世界童話集』のシリーズを刊行し、本格的に童話へ取り組みます。『世界童話集』で洗練された装画を担当したのは、後に「赤い鳥」の表紙を描く清水良雄でした。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:115KB]

「大庭みな子―没後10年を読む」

平成29年9月2日~平成30年3月10日開催

作家 大庭みな子が平成19年(2007年)に亡くなって今年で10年となります。この間、大庭みな子を巡っては、全集の刊行や研究会の発足があったほか、様々な作品集や評論においても、大庭みな子とその作品が取り上げられてきました。より深く、あるいは新たな視点で、大庭みな子の文学の魅力を伝える、没後10年間の出版物をご紹介します。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:137KB]

「生誕100年 峠三吉 ③『原子雲の下より』」

平成29年7月1日~8月31日開催

詩集『原子雲の下より』(青木書店 昭和27年9月)は、峠が中心となって広島の子どもたちや市民から作品を集め、編まれた詩集です。出版社からの依頼に、峠は喀血後の体で応じ、広島に戻るとすぐに編纂委員会を立ち上げます。その後、学校や職域を通じた詩の募集や、集まった作品1,389篇の選考など、一か月余りで原稿をまとめました。出版から約半年後、峠は亡くなります。峠自筆のメモなど『原子雲の下より』に関わる資料は、詩集出版に向けて奮闘する峠の姿を伝えています。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:89KB]

「生誕100年 峠三吉 ②『われらの詩』」

平成29年4月19日~6月14日開催

峠三吉は自身の創作活動だけでなく、多くの文芸誌、サークル誌の刊行に携わりました。中でも昭和24年11月に創刊されたサークル詩誌「われらの詩」は、『原爆詩集』や『原子雲の下より』の出版を経て亡くなるまで、峠にとって戦後の文学活動の中心となりました。朝鮮戦争など当時の社会情勢の中で、反核、平和を掲げて活動した「われらの詩」に対しては、戦後の社会運動や詩運動を考える側面からも、再評価の動きが高まっています。

会場 中央図書館 2階 展示ホール前
関連資料 展示資料リスト [PDF:77KB]

「生誕100年 峠三吉 ①『原爆詩集』」

平成29年2月15日~4月16日開催

平成29(2017)年は、詩人 峠三吉の生誕100年にあたります。「ちちをかえせ ははをかえせ…」の「序」からはじまる『原爆詩集』は、峠三吉の生前唯一の個人詩集です。平明な言葉と具体的な表現によって、広島の惨禍や原爆への怒りを伝えるこの詩集の完成に向けて、推敲の跡が残る草稿等、自筆資料を中心にご紹介します。

関連資料 展示資料リスト [PDF:91KB]

「没後10年 近藤芳美」

平成28年12月1日~平成29年2月12日開催

近藤芳美が没して10年が過ぎました。近藤芳美は、昭和22(1947)年に歌論「新しき短歌の規定」を発表し、戦後短歌を拓きました。長年にわたって新聞歌壇の選者を務めたことでも知られています。また、近藤が主宰した歌誌「未来」は同人たちに引き継がれて、現在も多くの歌人が活躍しています。時代を詠い続けた歌人 近藤芳美をご紹介します。

関連資料 展示資料リスト [PDF:131KB]

「もう一度読みたい 阿川弘之」

平成28年7月30日~11月29日開催

戦後70年の夏に、広島市出身の作家 阿川弘之(1920-2015年)が亡くなってから一年となります。日本語の美しさにこだわり、生涯、旧仮名遣いを貫いた阿川は、師 志賀直哉から受け継ぐ端正な文章で作品を書きました。自身の青春時代とも重なる戦記文学や、ユーモアあふれる随筆など、今も愛される作品とともに、70年近い作家人生を振り返ります。

関連資料 展示資料リスト [PDF:147KB]

「畑 耕一 - 生誕130年に寄せて」

平成28年4月15日~7月28日開催

広島市出身の畑耕一(1886~1957年)は、戦前には小説や劇評を執筆したほか、新聞記者として文芸を担当し、映画会社に入って製作に携わるなど、多彩な才能を発揮しました。戦中に可部へ疎開した後は、生涯をこの地で暮らし、文芸誌への寄稿や講演、ラジオ出演など、戦後の広島の文化を支えました。本展では代表作のほか、畑が好んだ怪談や俳句、ゆかりの品などをご紹介します。

関連資料 展示資料リスト [PDF:129KB]

「黒田三郎 詩集『ひとりの女に』 -H氏賞受賞から60年-」

平成27年12月1日~平成28年4月13日開催

呉市生まれの黒田三郎は、飾らない言葉で、一市民としての生活感情に根差した詩を作りました。第一詩集『ひとりの女に』でH氏賞を受賞し、戦後を代表する詩人の一人として知られています。家族との暮らしの中で生まれた詩や、教科書に掲載された詩など、その作品は今も親しまれています。
(H氏賞とは、日本現代詩人会が主催する、現代詩のすぐれた新人の詩集を広く社会に推奨することを目的とした文学賞です。機械メーカー・協栄産業の創業者 平澤貞二郎の基金により、昭和25年(1950年)に創設されました。)

関連資料 展示資料リスト [PDF:97KB]

「作家たちの原爆体験」

平成27年7月20日~9月6日開催

広島文学資料室の作家の中には、昭和20年(1945年)8月6日の朝を広島で迎えた作家がいます。人を探すために、また、負傷者を助けるために、焦土の街を歩いた作家もいます。作家たちは、忘れることのできないその日の体験を、被爆直後から、あるいは長い時間をかけて、それぞれの言葉で作品に書き残し、ヒロシマの記憶を伝えています。本展では、9名の作家の原爆体験と作品をご紹介します。

関連資料 展示資料リスト [PDF:128KB]

「大木惇夫 生誕120年・第一詩集『風・光・木の葉』刊行90年」

平成27年5月13日~7月19日開催

広島市天満町(現 西区)に生まれた詩人 大木惇夫は、北原白秋に才能を認められてデビューしました。大正14年(1925年)に第一詩集『風・光・木の葉』を発表すると、抒情性豊かな詩が高く評価され、訳詩や小説、児童文学、歌謡曲の分野でも活躍しました。故郷 広島を詠った詩も多く残し、平和記念公園、比治山公園、三瀧寺などに、作品を刻んだ文学碑が建てられています。

関連資料 展示資料リスト [PDF:130KB]

「『三重吉全作集』装幀を楽しむ」

平成27年1月7日~5月12日開催

鈴木三重吉は、大正4年(1915)から私財を投じて『三重吉全作集 全13編』を刊行しました。創作への行きづまりを感じた三重吉にとって『全作集』は集大成であり、こだわりの強さゆえ、各編で異なる美しい装幀を手がけた画家 津田青楓とも衝突し、刊行途中に絶交へ至ります。小説の筆を折った三重吉は、大正6年に清水良雄の表紙画による『世界童話集』を刊行、その翌年、雑誌「赤い鳥」を創刊します。

関連資料 展示資料リスト [PDF:114KB]