カテゴリー:中央図書館
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記事分類:お知らせ公開日:2023年8月24日
令和5年7月に、中央図書館2階南側入り口付近に展示パネル「浅野図書館から中央図書館へ」を設置しました。その内容をご紹介します。
浅野図書館は広島市小町に位置した(現・中国電力本社の一部分)(『新築落成記念』(広島市立中央図書館/所蔵))
大正9年(1920年)10月、旧広島藩第12代藩主であった浅野長勲(ながこと)公は、浅野長晟(ながあきら)広島入城三百年祭を記念して、図書館を建設する旨を発表した。
浅野長勲公は、中国地方の文化の中心である広島に、ほとんど図書館が無いことを慨嘆(がいたん・嘆き心配すること)して、広島の文化のために私財を投じて図書館を新設することとした。
広島県出身の学者を顧問として、建設・経営方法について意見を求め、新設図書館は浅野家が藩政時代から所蔵している図書を公開し、主に郷土に関する図書や記録を収集する郷土色豊かな図書館とすることとなった。泉邸(せんてい・縮景園(しゅっけいえん))書庫内の蔵書3万7千点あまりを整理・分類して図書館に移し、大正15年(1926年)11月28日に開館式を行った。
【旧広島藩主浅野家について】
浅野家初代広島藩主浅野長晟は、元和5年(1619年)、広島城無断修築の罪で改易(かいえき)となった福島正則(ふくしままさのり)に代わり、和歌山から広島へ四十二万六千石に加増転封(かぞうてんぽう)となった。以来、明治2年(1869年)の版籍奉還(はんせきほうかん)に至るまで、250年間にわたり浅野家が広島藩を治めた。
広島市では図書館建設の気運はあったものの、実現には至っていなかった。
昭和6年(1931年)に浅野家が、浅野図書館の建物・蔵書・維持費5万円を広島市に寄贈することとなった。広島市立となった浅野図書館は昭和10年(1935年)に広島県中央図書館に指定され、広島市の中心的図書館として発展した。
被爆した浅野図書館(「市立浅野図書館」(米国戦略爆撃調査団/撮影、米国国立公文書館/所蔵、広島平和記念資料館/提供))
昭和19年(1944年)末以降に、浅野図書館が所蔵する貴重図書の疎開(そかい)が行われた。当時の浅野図書館の蔵書数は約9万点で、そのうち漢籍(かんせき)・和書(わしょ)・絵図等貴重図書約1万7千点を安佐郡・佐伯郡の寺に分散疎開した。第2次疎開にあたり、特別図書約1万点を梱包して疎開の準備をしていたが、昭和20年(1945年)8月6日、原子爆弾が投下され、建物は外郭(がいかく)を残し全焼、特別図書を含む蔵書が焼失した。疎開していた貴重図書は焼失を免れたが、9月の水害で多数流失、損傷したものもあった。
国泰寺町にあった浅野図書館(「市立浅野図書館の全景」(広島市公文書館/所蔵))
原爆により壊滅的な被害を受けた浅野図書館だが、被爆翌年の昭和21年(1946年)10月から比治山の山陽文徳殿(さんようぶんとくでん)で業務を開始した。小町の浅野図書館で業務を再開できたのは昭和24年(1949年)6月からである。その後、昭和30年(1955年)国泰寺町に新築・移転し、昭和49年(1974年)基町に新築・移転して名称を広島市立中央図書館とした。
疎開によって原爆の被災から免れた漢籍・和書・絵図等は基町への移転に際して、広島市立中央図書館の特別コレクション「浅野文庫」とし、大切に保存している。
浅野図書館関係略年表[PDF:417KB]
旧広島藩主浅野家について詳しくは「浅野氏広島城入城400年記念事業」をご覧ください。
なお、こちらで公開している「浅野家歴代藩主紹介」と「浅野家と広島藩の主なできごと(年表)」は、1階休憩室(元食堂)でパネルを展示しています(令和5年7月~終了時期未定)。
広島市立中央図書館
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