浅野氏入城400年記念事業平成29年度歴史講座「江戸時代の広島~浅野家と広島藩~」後期第1回「広島城下絵屏風の337人と18匹」が11月11日に開催されました。
その概要を簡単にご紹介したいと思います。
後期第1回 「広島城下絵屏風の337人と18匹」
講師:広島城学芸員 前野 やよいさん
◆レプリカの展示風景
◆『広島城下絵屏風』 (広島城所蔵/提供)
※クリックすると拡大表示されます。
概要
今回の講座は、「広島城下絵屏風」に描かれた「ひと」と「動物」に焦点を当て、描き出されている337人と18匹の姿を追いながら、繫栄する城下町広島の様子を読み解く形で話をされました。
- 「広島城下絵屏風」とは
六曲一双、紙本彩色で一隻の大きさが高さ170㎝、幅が368㎝。昭和46年に「広島市指定重要有形文化財」に指定され、原資料は広島市郷土資料館に保管、レプリカ(複製)を広島城第二層で展示している。(注:2月頃まで展示ケースの改修工事により見ることができないが、展示コンテンツで拡大画像や説明を見ることができる。)
由来書きがなく、作者や描かれた年代なども不明であるが、浅野家第8代藩主浅野斉賢の治世(寛政11年(1799)~天保元年(1830))前期、文化年間(1804~1818)頃の広島城下の様子を描いたと考えられている。
城下の東、猿猴橋から西は天満橋まで、西国街道(山陽道)に沿うように城下の南側から鳥瞰する形で、広島城下町の賑わいの様子が生き生きと描かれている。東から西に進むに従い、屏風の中の季節も春、夏、秋、冬と移りゆく「四季絵」の形式である。
- 江戸時代後期の繁栄の様子を記したもの(江戸後期広島城下は賑わっていた)
18世紀後期の広島藩儒学者香川南浜は「誠に広島の繁栄は斉の臨緇(りんし)ともいふべし。三都の外比肩すべき所なし」と『秋長夜話』続編に記し、医者の橘南谿は「安芸広島の城下、その繁華美麗なること、大坂より西では並ぶ地なし」と紀行文『西遊記』に記すなど、江戸後期の広島城下の繁栄ぶりがうかがえる。
絵屏風にも、当時の主要道であった西国街道に立ち並ぶ商家や家屋の様子が良く描かれている。
- 「広島城下絵屏風」に登場する337人と18匹について
人物の絵は描きこまれたものではなく、具体的な身分や職業を判別するのは難しい。大まかに三つに分類して、その中の主なものを紹介する
①刀を差すひとびと
(刀を差していても、侍か、その従者か、脇差を持つことができた町人なのかの判別は難しい)
-
- 広島藩の武士・・・当時、武士は、「上士」「中士」「下士」「従者」と別れており、中士以上が「侍」であった。
- 侍の一行・・・絵屏風には何組かの武士の集団が描かれている。(上・中級の侍は馬の飼育や普段連れ歩く従者の人数を決められるなど武士の格式を保つのも大変だったようだ。)
- 町人町を歩く武士たち・・・正装の裃姿の他、普段着の小袖や袴などで買い物している者、談笑中の者などが見られる。
- 働く武士・・・京口門の方に向かう武士の姿、城内に入って乗馬の訓練などをする姿が見られる。
②作るひとびと・商うひとびと~職人・商人
城下町を支えるさまざまな職人・商人が描かれている。
-
- ものづくり・・・傘張、提灯屋、桶師、屋根瓦葺き、筆結など。
- さまざまな商い・・・薬種店、材木商、魚屋、八百屋、紙屋などの商店や売り物を担いで町を回る振り売りの人々も多くみられる。
- 運ぶひとびと・・・背中に負ったり、棒を使ったり、馬や船で物を運ぶひとびとが見える。
- 移動するひとびと・・・歩く人。杖をついている人が多い。馬や駕籠、渡し船も利用された。
③動物たちを見てみよう
-
- 馬・・・乗用、運搬用で登場。侍の軍役奉仕用。(13匹描かれている)
- 牛・・・城下町の西はずれに1匹描かれている。(都市部では農耕はしないので数が少ない)
- 犬・・・3匹描かれている。繋がれていないので、町で共同で世話をした「町犬」では。
- 猿・・・猿回しの猿1匹。猿は馬の守り神と考えられ、厄除けに舞わせることもあった。
- 豚・・・絵屏風には描かれていないが、広島ならではの存在で有名。
文化年間には城下にたくさんいた豚が、文政年間の『知新集』には、近年全くいなくなったと記されている。いなくなった理由はわからない。豚はもともと朝鮮通信使のための食用だったと言われている。
終わりに、「「広島城下絵屏風」は、江戸時代後期の広島城下で暮らしていたひとびとの息遣いが感じられる数少ない資料です。描かれた337人にも、それぞれの生活があったでしょう。今の私たちの生活が、江戸時代から続いてきた歴史の上に連綿と築かれていることに思いをはせていただきたい」と話された。
参考資料
(※広島市立図書館に所蔵がないものを含みます。)