広島を知る

広島文学資料室年表

明治 39年(1906) 鈴木三重吉、「千鳥」を発表、翌40年「山彦」を発表。
42年(1909) 小山内薫、「自由劇場」設立。
大正 7年(1918) 鈴木三重吉、「赤い鳥」を創刊。
8年(1919) 田中純、「智慧の果」、「五月の朝」を発表。
13年(1924) 細田民樹、『或兵卒の記録』刊行。
14年(1925) 大木惇夫、詩集『風・光・木の葉』刊行。
昭和 6年(1931) 岡山巌、「歌と観照」創刊。
11年(1936) 鈴木三重吉没。「赤い鳥」終刊。
19年(1944) 畑耕一、可部町に疎開。
20年(1945) 栗原貞子、細田民樹・畑耕一を顧問に「中国文化連盟」結成。
21年(1946) 栗原貞子、「中国文化」創刊。詩歌集『黒い卵』刊行。
阿川弘之、「年年歳歳」発表。
若杉慧、「エデンの海」の連載を開始。
22年(1947) 原民喜、「夏の花」発表。翌23年水上滝太郎賞を受賞。
正田篠枝、歌集『さんげ』刊行。
阿川弘之、「八月六日」発表。
23年(1948) 近藤芳美、歌集『早春歌』『埃吹く街』刊行。
大田洋子、『屍の街』(中央公論社版)刊行。
25年(1950) 大田洋子、『屍の街』(冬芽書房版)刊行。
26年(1951) 原民喜、自殺。
近藤芳美、「未来」創刊、主宰となる。
峠三吉、『原爆詩集』刊行。
27年(1952) 大田洋子、「人間襤褸」により女流文学者賞を受賞。
28年(1953) 阿川弘之、『春の城』により読売文学賞を受賞。
桂芳久、「刺草の蔭に」発表。
30年(1955) 黒田三郎、詩集『ひとりの女に』によりH氏賞を受賞。
大田洋子、『夕凪の街と人と』刊行。
31年(1956) 桂芳久、『海鳴りの遠くより』刊行。
34年(1959) 新藤兼人、『第五福竜丸』公開。
36年(1961) 新藤兼人、『裸の島』によりモスクワ国際映画祭グランプリを受賞。
37年(1962) 梶山季之、『黒の試走車』刊行。
38年(1963) 梶山季之、『李朝残影』刊行。
39年(1964) 竹西寛子、「往還の記」により田村俊子賞を受賞。
41年(1966) 阿川弘之、『山本五十六』により新潮社文学賞を受賞。
43年(1968) 大庭みな子、「三匹の蟹」により群像新人賞、芥川賞を受賞。
46年(1971) 梶山季之、月刊「噂」創刊。(昭和49年3月まで刊行)
48年(1973) 竹西寛子、『式子内親王・永福門院』により平林たい子文学賞を受賞。
50年(1975) 若杉慧、「長塚節素描」により平林たい子文学賞を受賞。
大庭みな子、『がらくた博物館』により女流文学賞を受賞。
53年(1978) 竹西寛子、『管絃祭』により女流文学賞を受賞。
56年(1981) 竹西寛子、「兵隊宿」により川端康成文学賞を受賞。
57年(1982) 大庭みな子、『寂兮寥兮』により谷崎潤一郎賞を受賞。
58年(1983) 栗原貞子、『黒い雨 完全版』を刊行。
61年(1986) 大庭みな子、『啼く鳥の』により野間文芸賞を受賞。
63年(1988) 新藤兼人、『さくら隊散る』公開。
64年(1989) 大庭みな子、「海にゆらぐ糸」により川端康成文学賞を受賞。
平成 元年(1989)
2年(1990) 栗原貞子、谷本清平和賞を受賞。
3年(1991) 大庭みな子、『津田梅子』により読売文学賞を受賞。
近藤芳美、『営為』とそれまでの功績により現代短歌大賞を受賞。
5年(1993) 阿川弘之、文化功労者となる。
6年(1994) 阿川弘之、『志賀直哉』により野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。
7年(1995) 新藤兼人、『午後の遺言状』公開。
8年(1996) 大庭みな子、「赤い満月」により川端康成文学賞を再度受賞。
9年(1997) 新藤兼人、文化功労者となる。
11年(1999) 阿川弘之、文化勲章を受章。広島県名誉県民となる。
14年(2002) 阿川弘之、『食味風々録』により読売文学賞を再度受賞。
新藤兼人、文化勲章を受章。広島県名誉県民となる。
15年(2003) 大庭みな子、『浦安うた日記』により紫式部文学賞を受賞。
竹西寛子、『贈答のうた』により野間文芸賞を受賞。
17年(2005) 新藤兼人、谷本清平和賞を受賞。
19年(2007) 阿川弘之、菊池寛賞受賞。
20年(2008) 新藤兼人、『石内尋常高等小学校 花は散れども』公開。
23年(2011) 新藤兼人、『一枚のハガキ』公開。
24年(2012) 竹西寛子、文化功労者となる。